昭和13年 |
有田光氏、森原鶴盛氏国分町に開業 |
昭和17年 |
浜田謹之助氏国分町に開業 |
昭和18年 |
桐原哲郎氏国分町に、竹谷静人氏浜の市に開業 |
昭和19年 |
西国領登氏日当山村に開業 |
昭和20年 |
8月15日終戦。終戦までは本郡に疎開転入者が多く、姶良支部会員も一時は30名以上に達したが、終戦ともに疎開会員は元の開業地に復帰、また外地よりの引揚会員、復員会員等と同業者の移動慌しきものがあった。 |
昭和21年 |
多くの開業者があった。山口雅雄(後日退会)、久留彊、木村重則、桐原一夫、桑幡次郎、池田登、外山貞二(後日退会)、野間口アヤ(後日退会) |
昭和22年 |
開業者 ― 田中市二(後日退会)、篠原良彦(後日退会)、岡山徹、斜木吉二、川池鼎、池田秀武、西原辰雄
占領軍司令により、旧鹿児島県歯科医師会は解散することになり同時に本支部も解散し、同年8月社団法人姶良郡歯科医師会設立許可申請書を本県知事に提出、11月1日付けを以て新生姶良郡歯科医師会が発足し第1回総会を隼人町で開催した。(会員40名)
1 議事 ― 定款並びに規定の審議
1 役員選挙の結果、次の如く決定した。
会長:中村重春
副会長:中摩秀清
専務理事:森原鶴盛
理事:酒匂忠夫、桐原一夫、池田登
監事:前田国盛、黒江照馬
議長:佐牟田喜吉
鹿児島県歯科医師会理事:黒江照馬
1 本会予算(23年3月末日まで)
収入 金2万150円也
支出 金2万150円也
右審議可決する。
1 本会事務所を国分町530番地森原鶴盛氏宅に置く。 |
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昭和23年 |
岡元良信(後日退会)、竹之下喜八郎両氏開業 |
昭和24年 |
公衆衛生事業として標語ポスターの募集を行い大いに実績をあげ、学会を開催して会員の研修に努めた |
昭和34年 |
姶良郡内小・中学校児童生徒よりポスター募集開始
姶良教育事務所共催による審査会
前田修、米重稔両氏入会。退会者上薗新一郎氏
浜田謹之助氏、会長と専務理事を兼務 |
昭和35年 |
会員数33名 |
昭和36年 |
西原達氏入会、退会者酒匂睦夫(東京都転出)、行村 淳(死去)両氏退会
桐原一夫氏、副会長と専務理事を兼任 |
昭和37年 |
三師会(医師会・歯科医師会・薬剤師会)発足 |
昭和38年 |
鹿児島県地方歯科学会を姶良郡担当で行う |
昭和40年 |
会員数37名 |
昭和41年 |
鶴川武夫氏入会 |
昭和42年 |
橋村志郎氏入会 |
昭和44年 |
馬場健二氏入会 |
昭和45年 |
会員数31名
入会金徴収始まる(500円)
森原久樹、浜田次郎両氏入会 |
昭和46年 |
岡元良信、浜田三郎、桐原哲也三氏入会
黒江照馬氏(死去)、森原久樹氏(鹿児島市へ転出) |
昭和49年 |
江田巧氏、橋口哲彦氏入会
橋口哲哉氏(死去)、桐原哲也氏(鹿児島市へ転出) |
昭和50年 |
会員数32名 |
昭和51年 |
溝辺に町立歯科診療所が開設、王皓恵先生着任 |
昭和52年 |
鹿児島大学に歯学部が設立される |
昭和55年 |
会員数38名 |
昭和60年 |
会員数50名 |
平成元年 |
会員数51名 |
平成4年 |
姶良郡歯科医師会会館口腔保健センター落成式(6/20)
休日救急診療開始(10/4)
会員数68名 |
平成5年 |
救急歯科診療受診者数 281名 |
平成6年 |
救急歯科診療受診者数 271名 |
平成7年 |
救急歯科診療受診者数 335名 |
平成8年 |
救急歯科診療受診者数 448名
口腔保健センター診療台増設
在宅診療用ポータブルユニット購入 |
平成14年 |
救急歯科診療受診者数 512名 |
平成19年 |
救急歯科診療受診者数 630名
会員数95名 |